ピナール・デル・リオ (Municipio de Pinar del Río)
ピナール・デル・リオはスペイン人によって設立されたキューバの最後の主要都市の一つであった. この町及び州は、マニラ・ガレオンによって大量に流入してきたフィリピン人の入植地として作られたため、ヌエバ・フィリピーナ(新フィリピンの意)の名で建設された. 彼らはこの土地にタマリンドや粥をもたらした. チーノス・マニラとして知られるこの人々は、フィリピンの北イロコス州、南イロコス州、タルラック州、カガヤン州などの出身であり、現在ではタバカレラなどで知られるフィリピンのタバコプランテーションの労働者だった. 世界的に有名なLa Flor de Isabela葉巻は当初フィリピンで作られていたが、生産の中心をキューバにシフトさせ、これによってピナール・デル・リオは世界有数のタバコ産地となった. 1774年にヌエバ・フィリピーナはピナール・デル・リオと改称された.